第30話「歌姫の詩−2−」 | 第4章 「歌姫の詩」 |
連れてこられたのは、町の南に位置する円形の広場だった。
中央部分がやはり円を描いて一段低くなっている。
昼間は憩いの場なのであろう、外周と接するようにいくつかベンチが置かれていたが、今はさすがに誰もいなかった。
アリフは中央部分の段に腰かけ、カンナはその前の地面に座る。
エラートを奏でるにはある程度の段差を必要とするからだ。
アリフはカンナが座ったのを目で確認して、小声で呟いた。
「キペア」
アリフの首にさがっていたペンダントについた石が一瞬光り、少し辺りの空気が変わった気がして、カンナは訝しげに周りを見た。
アリフは微笑む。
「空間閉鎖の魔法。吟遊詩人は大抵持ってるわ。夜は音が響くし迷惑でしょ?」
「なるほど」
少女はそして右手の薬指にはめた指輪からエラートを取り出した。
「さて、と。それではお話をひとつ。私とあなたが出会った記念に。なるべくしてなった吟遊詩人の責務を果たすために」
粛々とそう言って、一音だけ弦を弾く。
まただ。
一体「なるべくしてなった」とはどういうことなのか。
「カンナは勿論創世の章や勇者の章を知ってるでしょう?」
「ああ」
突然名前を呼び捨てにされて、カンナはやや驚きながら頷く。
心なしかアリフが大人びたような気がした。
「創世の章」に「勇者の章」。
この世界に存在するどんな歴史書にも、その短さも手伝ってか必ず最初に書かれている文章。
一般常識のひとつとして、カンナもアールから教わり知っている。
ただ、そのときのアールの態度もあってか、カンナはそこまで真摯に受け取っていなかったのだが。
しかしカンナは先日のホーリックの言葉を思い出した。
曰く、神はいる、と。
ならばそんな神話な世界さえも、本当にあったことだというのだろうか。
「創世の章はこの世のはじまりと、ユミカルヴァイネ王国の成立が、そして勇者の章はその後起こった大戦と、次に起こるだろう戦いの予言が書かれている。
でもね、勇者の章はともかく創世の章のこと、しかもこの世の始まりなんて誰にも証明できない。そりゃあ神殿とかは信じろっていうけどね。……だってそのとき世界には、最初の2人しかいなかったんだから」
カンナにはアリフの言いたいことがわからなかった。
けれどこれは聞くべき話だ、なぜかそう思えて、だからカンナはおとなしく耳を傾けていた。
アリフの話は続く。
「だけどこんな話が伝わってるわ。ユミカルヴァイネが成立するずっと昔、数多の国がこの世界にあったとき、ある国にたびたび訪れる吟遊詩人がいたの。その吟遊詩人は何年、何十年と経っても、年をとったようには見えなかったんですって。
その時代ハーフスプライトは存在しなかったし、何よりその吟遊詩人には、他の人と決定的に違うところがあった」
先程よりも高い一音が鳴った。
「それはどこか。……瞳の色。その吟遊詩人の目は、鮮やかな紫色をしていたそうよ」
カンナは心の内で驚く。
同じ色の目を、彼女は知っていた。
突然変異だと、彼は言っていたけれど。
「その吟遊詩人は誰なんだ……?」
カンナが問う。
アリフはにっこり微笑んだ。
「最初の2人のうち1人、光の力を持った人間。そしてだから、今でも吟遊詩人は特別なの。消えてしまった彼の人の代わりに、世界を見て回る役割を負っているから」
なるほど、と納得する頭の隅で、さっきの話が渦を巻いている。
紫の瞳。
もしかして、とまさか、がかわるがわる頭をよぎっていく。
「どうしたの? カンナ」
「え、いや……」
声をかけられハッとする。
アリフはおかしそうにくすりと笑った。
ポーンと弦を弾く。
「とっても面白い顔をしてるわ」
「…………」
「紫色の目がどうかした?」
「! ……何で」
アリフは今度こそ声をあげて笑った。
「だって驚いてたでしょう? わかりやすいんだものカンナって。
勿論、何で驚いたかも大体想像がつくわ。クラトス教の神官に、目の色が紫の人がいるっていうのは結構知られた話。知らない人は知らないけれど、語る必要や機会があれば話される話だもの」
「そうなのか……?」
まるで、それはユーキのことのようだ。
それにしては、ユーキのことを知っていたナラルやフェイルも、ホーリックのことは知らないようだったが。
「そうなのよ。だけど光の力を持った人間の瞳の色は、知っている人だけが知っている話。別に隠す必要はないけれど、話す必要も機会もないから語られない話なの。知っているのは偉い人や吟遊詩人だけ」
「ちょっと待って」
話がどんどん先に進みそうだったので、カンナは声をあげる。
疑問はきっと、後になるほど聞きにくくなるだろう。
「神官のこと、私の仲間は知らないみたいだったけど……、本当に有名なのか? その話」
「ここ最近だけどね。その神官が移動してるから、その目を見る人が増えたの。ただ『あの人目の色変ー』なんて、そんな子どもみたいな悪口とも取れるような話、声高に言う人なんていないでしょう?」
「確かにな」
「だから知ってるのはその神官が立ち寄った町や村の住人、偶然すれ違った冒険者ってとこかしら。冒険者は移動し続けてるから、会う確率は低いかもしれないわね」
「そういうことか、わかった。だけど……」
アリフは首を少し傾けた。
「だけど?」
「どうしてそれを私に話すんだ?」
アリフはカンナがホーリックと共にいることを知らないはずだ。
だから今は、きっと「話す必要や機会」のときではないと思うのに。
「不思議?」
「とても。
あと、『なるべくしてなった』吟遊詩人って一体何なんだ? 吟遊詩人は歌う人だろう? なのにさっきから話ばかりだ」
「これって質問攻めっていうのかしら」
「あ、……悪い」
勢いで聞いてしまってから、我に返って少し俯く。
しかしアリフは首を振った。
「質問攻めって悪いことじゃないのよ。ひとつひとつ順番に答えればいいだけだもの。
それに疑問を持つことだって当然だわ。人間ってきっとそういうものでしょう?」
ものすごく大きなカテゴリにくくられてしまった気がする。
そう思いながらも、カンナはとりあえず頷いた。
「そうかもしれない」
「そうよ。さて、じゃあどれから答えようかしら。
んーと……、詩ってね、2種類あるの、わかる?」
「2種類?」
「ええ。リリックとエピックっていってね。恋の歌と、英雄の物語。確かに普通の吟遊詩人の専門は歌のほうだけど。だからさっきからほとんどエラート使ってないでしょう? エラートは恋を詠うためにあるものだから」
どうやら最後の質問から答えてくれるらしい。
「だけど今はカンナが相手だから。勿論歌だって歌うつもりだけど、先にやるべきことはやっておかないとね」
「やるべきこと……」
「そう。語るべき人に、語るべきことを」
そして一音。
「それが、物語を知る者の役目だから」
吟遊詩人は語りだした。