第31話「預言者の言葉」 第4章
「歌姫の詩」

 「アリフ、ですよね」
 「は? 何がだ」

 書いていた報告書から顔を上げて、ユーキは応接用のソファに座り1人ティータイムを楽しんでいた副官に、仕事に取りかかってから初めて目を向けた。
 今までホーリックが一言もしゃべらなかったから、ユーキは仕事に集中していられた。
 しかしたとえ無視していたくても、ある程度の声量をもった言葉であったならば、基本的に律儀な性質であるユーキは反応せずにはいられない。
 そして、結果、ユーキは口のあたりをやや引きつらせた。
 いくら信仰心厚い彼であったとしても、己の副官にこうもくつろがれては無理もない。
 だが、ホーリックはそんな上官の様子を気に留めることなどなかった。
 もしかしたら気づいていなかったのかもしれないが。

 「ユーキ様……いえ、陛下にですね、に、ナルレストの危険を知らせた者のことです」
 「え? ああそうか。お前あのときいなかったな、そういえば」

 ホーリックには特殊部隊所属の役割のほかに、第2神殿所属神官としての仕事もある。
 だから王都に戻ったらすぐに、神殿へ仕事を片づけに行くのが常であった。
 高位神官である彼が、何故軍に所属しているのか、ユーキは聞かされていない。

 「ええ……」
 「その者がどうかしたのか?」
 「いえ、私の知っている人と同じ名前だなぁ、と思いまして」
 「へぇ」

 ユーキは瞬いて視線で先を促す。
 ホーリックは思い出すように目を上にやった。

 「闇を映したような黒髪を持った、美しい人です。責任感の強い……」
 「黒髪か、じゃあ別人だな。あの預言者とは」
 「金髪でしたか、しかも少女だとか。私の知る人は妙齢の女性でしたし」

 なんだ、と少し落胆した様子のユーキに、ホーリックはくすりと笑う。

 「預言者、神の言葉を預かる者。まったく神官の商売あがったりですよねぇ」
 「商売って言うな」

 ユーキがムッとして言っても、ホーリックは悪びれた様子もない。

 「あぁすみません。そういえばユーキ様はご存知ですか? 預言者はその時代に1人きりしかいないんです」
 「そうなのか?」
 「そうなんです。しかもそれは絶対に人間で、不思議なことに全員アリフという名前なんです。まあ、アリフという名前も珍しすぎるということはありませんが」
 「それ、本当に? 確かに不思議だけどさ」

 ユーキは目を丸くする。
 その手は完全に止まっていた。
 ホーリックはそれを指摘しなかったけれども。

 「記録書を見ましたから」

 さらりと言ったが、たぶん神殿か城の書庫か。
 見るのに相応の身分とややこしい手続きが必要な、封印された書物なのだろう。
 この副官はどうも妙なことに詳しい。

 「へえ、じゃあお前の知ってるっていう人も預言者だったのか?」
 「いいえ、彼女は女王でした」
 「女王?」

 ユーキは眉を上げる。
 ユミカルヴァイネの歴史上、女王は存在しない。
 隣国のハイナルディアは王制自体存在しない。

 「ええ」

 ホーリックは頷いて、ユーキの顔を見、慌てたようにつけたした。

 「あ、いえ、言葉の文です。それぐらい気高かったというだけで」
 「ふーん。……お前その人のこと好きなのか?」

 ニヤニヤ笑ってユーキは聞く。
 副官のそういう話は、今まで聞いたことがない。
 だがホーリックは、ふと真顔になって首を振った。

 「いいえ、そんなこと考えたこともありませんよ。それよりもユーキ様、ならば気をつけなければなりません」
 「何がだ」

 話をそらされたのを感じたが、その前の否定が、ユーキにその先を尋ねさせなかった。
 同時に己の手が止まっていたことに気づく。
 だがそれよりも、ホーリックの言う「気をつける」というのはどういうことか気になった。

 「預言者と名乗るその少女がアリフという名の人間であるのならば、一般には秘されたそのことを知るその者は本物の預言者です。
  預言者の言葉は現実のものとなり、それは神託よりも余程直接的でわかりやすい。そして預言者は」

 そこまで一息で言ってしまってから、ホーリックは言葉をいったん止めた。
 落ち着くように一度ゆっくり瞬いて、また口を開く。

 「預言者が以前現れたのは、今から167年前です。そのときも私は会うことがありませんでしたが。……彼女たちが現れるときは、いつも何かが起こる」
 「何か?」
 「何か、は何かですよ。『災い』と書かれた本もありましたけどね。前のときは王位継承のごたごたでした」

 167年前、それはユーキを拾ったクルス王の即位した前年だ。
 歴史が何よりも苦手なユーキは、そこに問題があったことなど知らなかった。
 いや、たとえ歴史を学んでいても、167年という人間にとっては長い年月でも、ハーフスプライトにとっては一世代にも満たない、目の前で起こった確実な出来事である。
 ユーキが歴史を苦手とするのは尺度が長すぎて把握できないからだが、167年前のことに関していえば最近すぎてそれを扱った歴史書だって少ないだろう。
 それも出回るのは王都以外での話だ。

 「それからハイナルディアの独立であったり、アディル火山の噴火に始まる天変地異であったり、あるいはノエル王の封印解除から始まる大戦であったり」

 それは。
 それは勇者の章に書かれた、今年なされた託宣の元となるあの。

 「託宣の儀であのようなことを言われたことと合わせ、きっとこれから何か大きなことが起こるのでしょう。なるほど、だから陛下はフィリア様でなく私たちをナルレストに向かわせたのですね。ナルレストが危険だという言葉だけで」
 「どういうことだ」

 多少厳しい声音でユーキは問う。
 1人でしゃべり1人で納得されても、ユーキのほうはまったくわからない。
 ホーリックはにっこりと笑った。

 「特殊部隊は遊撃騎士であるフィリア様よりも自由なんです。ある1つのことにのみ縛られ、他のことについて命じられることなどありえない。それがフィリア様も城にいたあの状況でこちらに命じられるということは、つまりその預言が私たちの任務に関係のあるものだったのでしょう」
 「そうか……。……早く見つけないとな」
 「そうですね」

 ユーキはペンを持ち直す。
 姉との再会で多少浮かれていた。

 「早く見つけて……救ってもらうんだ」

 小さく決意をこめて呟いて、一番上の書類にサインした。


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