第3話「目覚めればそこは」 序章
「夢の終わりは」

 夢を見ていた。幸せだった昔の。
 私がいて、有己がいて、優しい両親がいて。
 暖かくて幸せで楽しくて。
 だからそれが崩れてしまうなんてこと知りもせず、そして考えても見なかった頃の記憶。
 このところ見ていなかった夢。
 また見てしまったのは、「観察者」と名乗る正体不明のあいつのせいだ。
 目の前の光景に手を伸ばすと、それは硝子のように砕け消えて、後には暗闇と虚しさだけが残る。
 もう涙も枯れてしまった。泣いたって本当の望みは叶わない。

 意識が遠のく感覚。浮上する。
 遠くで有己の声が聞こえた気がした。



† † †



 異世界からの来訪者、ある一人の少女の存在の「物語」への参加を承認する



 空間の歪みを確認してしばらく。
 そこから現れた観察者は地面に横たえた少女を心配そうに眺めていた。
 観察者が少女の目の上に手をかざすと、少女は1つ身じろぎした。

 「……ん……」
 「あ、カンナさん。目が覚めましたか」

 観察者はほっとしたように笑顔になる。
 カンナはそちらを見ずに起き上がり、瞬間訝しげな顔になって振り返った。
 後ろに伸びる長い三つ編みを手に取り、まじまじと見つめる。
 次いで何かに驚いたように自分の服を見た。

 「何で髪が伸びて……服まで」
 「髪の毛は時空の狭間でちょちょいっと。服はさっき着替えさせたんです」

 観察者が笑顔で律儀に答える。
 カンナはその言葉を聞いて、半眼で観察者を見た。

 「着替えさせた? ……見ましたか?」
 「ま、まさか! 魔法ですよ魔法!」

 観察者は慌てたように体の前で手を振る。
 カンナは呆れたように溜め息をついた。

 「冗談です」

 立ち上がって周りを見回す。
 地平線の果てまで草原が続いている。

 「で、ここは何処ですか?」
 「何処って私の住む世界ですよ。そしてこれから貴女の生きる」

 観察者はそこまで言って、気づいたように笑顔を消しカンナを見つめる。
 カンナは視線を感じてか観察者を見下ろし、その表情にたじろいだように言った。

 「な、何ですか?」
 「冷静ですね。さっきはあれだけ抵抗したのに」

 観察者は、半ば驚いたように言う。
 カンナはパチパチと瞬く。
 観察者はハッとして頭をかいた。

 「いえ、帰せと泣いて騒いでいた人を知っているので……」

 カンナは一瞬口を開いて躊躇い、ぺたりと座り込むと、少し目を左右に動かして言った。

 「だって連れてこられてしまったのだから仕方ないじゃないですか。そりゃあ帰りたいし、帰らなきゃいけないし、こんなとこ来たくなかったから抵抗しましたけど、いまさら暴れたってただの無駄。そうでしょう?」

 そして諦めたように笑う。
 その笑みに、観察者はしばらく沈黙した。
 黙って考えて、溜め息をついて言う。

 「帰ることはできますよ」
 「え?」

 カンナの目が一瞬輝いたように見えた。
 口では諦めたように言っていても、やはり心のほうでは帰りたいようだ。
 少し安心する。

 「ただし条件があります。私にも貴方を連れてきた理由がありますから」

 ただで帰すわけには行きませんよ、と観察者は笑った。
 それと同時に目の前に立てられた2本の指を見て、カンナは慎重にゆっくりと尋ねた。

 「その条件は?」
 「条件は2つ。
  1つは旅をすること。そしてもう1つは自分を見つけることです」

 そして観察者は嘘をついた。

 「自分?」

 カンナは首を傾げる。
 そうするのも道理だ。
 そんな曖昧なもの、誰にだってわかりはしないのだから。
 魔法は何にでも作用しどのようにも使えると思われがちだが、実際はそれ自体に完全な法則がある。
 魔法は曖昧さを許さない、きちんとした定義がなければ条件に設定するのは無理なのだ。

 「それは自分で考えろ、と言いたいところですが……」

 しかし観察者は頷きながら立ち上がり答える。

 「そうですねぇ……『自分の意思』もしくは『意味』と言い換えてもいいのかもしれません。とにかくそういうものですよ。
  あ、今少し安心しましたね。全く、私がそんな非人道的なことするわけないじゃないですか」

 無理矢理連れてきたようだが、それは非人道的とは言わないのか。
 カンナの表情からして、彼女もそう思ったらしい。
 観察者は人が悪そうにククッと笑った。

 「本当はそんな安心できるようなことじゃないんですけどね。だって貴女はまるで自分の意思ってものがないんですから。だからさっき抵抗されたときには少し驚いちゃいましたよ」

 酷い言い草である。
 しかし表情と雰囲気は柔らかくカンナを見つめていた。

 「その調子なら、大丈夫かもしれませんね」

 どうやら発破をかけるための暴言だったようだ。
 相変わらずわかりにくいことをする。
 カンナは憮然としたように押し黙った。
 観察者も口を閉ざし、しばしの間辺りが静寂に満たされる。

 その沈黙を破るように、カンナが小さく承諾の言葉を返した。
 どういう心の動きがあったのかはわからない。とりあえず動かなければ帰れないらしいというところだけ理解したのかもしれない。

 「利き手はどちらですか?」

 その返事を受けて、少女を立たせながら観察者が尋ねた。
 カンナが戸惑いながらも左と答えると、

 「では左手を出してください」

 と言う。
 恐る恐る差し出された少女の左手を裏返し、甲を上にして、

 「光よ」

 それをじっと見つめながら囁く。
 その囁きに応えるように、その場に光があふれた。

 それは次第にカンナの左手の甲に収束していき、やがて光が消えたあとには紋様が浮かんでいる。
 少女はそれをまじまじと見つめ、その目から涙が一筋零れた。
 あてられたのだろう、あの人の悲しみに。
 観察者はその涙の意味に、果たして気づいているのだろうか。

 「何をしたんですか?」
 「その前にこれをつけてくださいね」

 懐から取り出した左手用の手袋をカンナの手にはめる。
 そして観察者は、

 「その正体は秘密です。まあいうなれば、魔力の源、みたいなものですね。カケラの欠片とはいえ、純粋ですからかなり強いですよ」

 そう自慢気にカンナの質問に答えた。

 「魔力?」
 「貴女は魔法が使えるようになった、ということです」

 あなたには魔導師になってもらいたかったので多少無茶をしてみました、と観察者は続ける。

 「貴女には5年も差がありますから、他の職業で旅をするのは多分無理でしょう。できたとしても、とてもじゃないですがついていけないでしょうね。その上、特に剣士だとかぶってしまいますから」

 かぶっちゃマズいでしょ〜、とカンナにはわけがわからないであろうことを立て続けに言う。
 本人はわかっていてやっているのだろう、悪い癖だ。
 少女が俯き考えはじめたのを遮るように、観察者は彼女の左手をとり両手で包む。
 思わず思考を中断しその手を見るカンナに、観察者は静かに言った。

 「それから、貴女が独りにならないように、ですよ」

 カンナがはじかれたように目を見開いて顔を上げる。
 観察者は優しく言った。

 「魔導師の主な役目は後方支援。誰かと組んで旅をしなければなりませんから。たとえ嫌でもね」

 カンナは人間だ。それが魔力を持っていようものならば、その先は嫌でも想像がつく。
 しかしそれでも、カンナには魔力が必要だったのだろう。
 時間は残り少ない。はじまりはすぐそこだ。

 一瞬重くなりかけた空気を払うように、観察者はまたがらりと雰囲気を変えてふざけたように言った。

 「それにそのためにこうして髪を長く伸ばしたんですから! 大変だったんですよぉ〜、空間の狭間での時空の歪みを利用して、髪の部分だけ時間を進めるのっ!」

 カンナは疲れたように溜め息をつく。
 どうやらこのテンポには慣れてきたようだ。

 「あの……何でそこまでして……?」

 長くなったらしい己の髪の束を持ち上げながら聞く。
 そんなカンナに、観察者は良くぞ聞いてくれましたとばかりに胸を張った。

 「魔法にたなびく長い髪! 美しい響きと情景だとは思いませんか!?」

 髪の毛が長ければ、魔力の制御に少しは役立つ。
 幼いとはいえいきなり魔力を持ったのだ、幼いからこそその制御は困難だろう。
 冗談めかしているが、ちゃんと少女のことを考えているらしい。

 演技過剰なその様子を見て、カンナは脱力したように肩を落とし、少し己の髪の毛を恨めしそうに見る。
 その視線の先に気づいたらしい観察者は、慌てたように言った。

 「あ! ちょっとちょっと! 1つ言っておきますが、その髪は絶対にそれより短くしてはダメですよ!
  せっかく人が苦労したんですから、ちゃんとその意思を汲み取ってくださいよね!!」

 尋常ではない詰め寄りようだった。
 やはり趣味も混じっているのだろうか。制御のためだけならば、せいぜい数年で切ってしまってもいいはずだ。
 カンナは勢いに押されたのだろう、こくこくと頷く。
 観察者は満足そうに1つ頷いて、カンナから離れた。

 「さてと、魔力の授与も終わったことですし、次はこの世界で生きていくにあたっての必要な知識ですね」

 カンナは、再び溜め息をついた。
 どうやらまだ話は終わらないようだ。

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