第29話「歌姫の詩−1−」 第4章
「歌姫の詩」

 夜。
 カンナは眠れずに、その日軍舎に行ったあとユーキと歩いた通りを歩いていた。
 店と、そしてまばらに家と宿屋の並ぶその通りは、ときおり酒場から声が響くが、夜の深さも手伝って大方は静かだ。
 いつもなら既に眠りについている時間である。
 特に昨日まで野宿だったのだ、本当なら久しぶりに屋根のあるところでゆっくりと眠りたいところだったのだが。
 どうも1人だと落ち着かない。
 ナラルやフェイルと会うまでは1人でいるのが普通だったのに、他の誰かがいるという状態に思った以上に慣れてしまっていたらしい。
 昼間のユーキの心配どおりになってしまったというわけだ。
 ただ、悪い気はしなかった。
 眠れないのは困りものだったが。
 ライトの魔法が宿った魔法具で、道を薄く照らしながら行くあてもなく歩く。
 何しろ今は真夜中。
 カンナの興味を引くような店はもうとっくに店じまいしている。

 ある角を曲がったとき、背後からいきなり声をかけられた。

 「お姉さん」

 酔っぱらいにしては声が高い。
 というかこれは少女の声だ。
 カンナは慌てて振り返る。

 「こんばんは」

 柔らかく微笑んだ輪郭を彩る金髪は、月の光を受けて一層艶やかに輝いている。
 歌っているときとはまた違って聞こえる声は、それでもやはり澄んだように高い。
 そこには、昼間見た吟遊詩人の少女が立っていた。

 「あ……こんばんは」

 カンナは戸惑いながらも挨拶を返す。
 すると少女が駆け寄ってきて、カンナのすぐ前で立ち止まり見上げてきた。
 カンナの丁度目の高さに少女の頭頂がある。
 間近で見てもやはり、美しい顔をしていた。

 「昼間見てくれてたお姉さんでしょ?」

 少女は小首を傾げる。

 「ああ」

 面食らいつつもカンナは頷く。

 「でもって夕方は来てくれなかった」
 「……ああ」

 真っ直ぐ見上げてくる少女の目から微妙に目線を外しながら、カンナは頷いた。
 それを見て少女はにっこり笑い、胸の前で手を合わせる。

 「あのね、私アリフっていうの」
 「?」

 突然の自己紹介に驚くカンナに、アリフというらしい少女はころころと笑った。

 「吟遊詩人のアリフ。お姉さん、あなたは?」

 左手を胸に当て、右手をカンナに差し出す。
 合点のいったカンナは、アリフの少し芝居がかった仕草に微笑んで言った。

 「私はカンナ。冒険者のカンナだ」
 「カンナ、カンナね……よしっ憶えた」

 アリフはカンナの名前を反芻し、満足げな顔をする。
 昼間歌っていたときの印象とはだいぶかけ離れている。
 しかし、あのときの満面の笑みから考えれば、こっちのほうが素なのかもしれない。
 それにしても見れば見るほど幼い少女だ。
 背が低いこともあるが、肩が細いせいで更に華奢に見える。

 「でもどうしてこんなところにいるんだ?」

 町の中とはいえ夜は危ない。
 それはアリフもわかっているはずだ。
 吟遊詩人だとはいえ、それさえも判別できなくなっている輩もいるだろう。
 少女はふふふと楽しそうに笑った。

 「夜中に目が覚めたから窓の外を見てたの。そしたらお姉さんが歩いてくのが見えたからつけてきちゃった」

 つけてきた?
 カンナは目を丸くする。
 たまたま見かけたから声をかけてきたのだと思っていた。

 「夜は危ない。どうしてついてきたりしたんだ?」
 「まあ」

 アリフは驚いたように軽く目を見開いた。
 にっこりと微笑む。

 「お姉さんに会いたかったから」
 「は?」

 カンナが首を傾げる。

 「だって夕方聴きに来てくれなかったでしょ? おかげで私ずーっと年上のおじさんおばさん相手に歌わなきゃならなかったのよ? せっかくこの町最後のステージだったのに、昼間やっと来てくれたと思った若いお姉さんが夕方来てくれなかったから!」

 にっこりと。
 顔は笑っているのだが、カンナは背筋に何かが走るのを感じた。

 「わ、悪かった」
 「まったく」

 勢いに負けてよくわからないまま謝ると、アリフは重々しく頷く。
 そしてすぐ顔をぱっと輝かせた。

 「でね、お姉さんが歩いてるのを見て思ったの。だったら今から歌えば、それが最後のステージになるんじゃないかって!」

 なんとも無茶苦茶な理屈だ。
 本当にそんなことだけのためにつけてきたというのか。
 だがもう既に宿からも離れている。
 ここまで来てしまったら今から宿に戻っても危険度は同じだろう。
 夕方聴きに行かなかった負い目もあるし、少女の歌はもう一度聴きたい。
 そんなことを考えていた間の沈黙をどうとったのか、アリフは言う。

 「ね、お姉さん。お姉さんは冒険者なのよね?」
 「え、あ、ああ」

 その声で我に返ったカンナは慌てて頷く。
 くすり、と少女は笑う。

 「あのね、冒険者は吟遊詩人に逆らわないほうがいいの。とりわけ『なるべくしてなった』吟遊詩人にはね」
 「『なるべくしてなった』? どういうことだ?」

 アリフは笑うだけで答えない。
 ただカンナの手をとって引いた。

 「とにかく行きましょ」
 「え?」

 ここでは歌わないのかとアリフを見る。
 少女は動かないカンナに、不機嫌そうに言った。

 「お姉さん?」
 「ここじゃ駄目なのか?」
 「情緒がないわ」

 短く言い切って、再びカンナの手を引く。
 そんなものかとカンナは思って、今度は逆らわなかった。


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