第28話「Find me, I found you」 | 第4章 「歌姫の詩」 |
ザワザワザワ――
宿屋の扉を開けたカンナをまず迎えたのは、1階にある食堂兼酒場の賑わいだった。
今は昼。
この時間帯は食堂として機能しているらしいそこが、まだ日も高いというのにこれほどの盛況を見せるのは珍しい。
目を丸くして思わず入り口のあたりで固まっていたが、
「いらっしゃいませー!」
というウェイトレスの声に我に返り、カウンターへと向かった。
この食堂の状況を見るに、部屋が空いているかどうかは怪しかったが、とりあえず聞いてみなければわからない。
しかし奥から現れた細身の主人に尋ねると、部屋は空いているとのことだった。
ならばこの1階の状態は何なのか。
カンナは内心で首を傾げる。
だがその疑問はすぐに解決された。
主人が聞かずとも話してくれたからだ。
「お客さんも歌を聴きに来たのかい?」
「歌?」
何のことだかわからずカンナが聞き返すと、
「おや、知らずに来たのか」
主人はリアクションも大きく目を見開き、何故か誇るように少し胸を張った。
「吟遊詩人がうちに来てるのさ、昨日からね。おかげで酒場は大繁盛! まったく吟遊詩人様々さ」
そこで主人はちらりと食堂に目を走らせた。
「あとはあいつらもここに泊まってくれりゃあ言うことなしなんだが……まあ高望みもよくないしな」
やれやれと肩をすくめてみせるが、言葉ほど残念がっているようには見えない。
宿場町だけあって宿屋が多いこの町で、さらに密集しているこのあたりである。
たとえ食堂だけでも、この激戦区でこれだけ客を呼べれば満足なのだろう。
それが、一番近いところにある町とはいえ、ナルレストとの大きな違いなのかもしれない。
と、いきなり高く澄んだ音がして、つられてカンナがそちらを向くと、急ごしらえしたらしいステージに置かれた脚の長いスツールに、いつの間にだろうか、人が腰掛けていた。
「!!」
カンナはその人物を見て唖然とする。
「驚いたろう?」
横から主人が得意そうに言った。
手に持つ楽器を調律しているのだろうその人物は、その楽器の持ち主、つまり件の吟遊詩人のはずで、それがカンナよりも幼い少女だったとしたら誰だって驚くだろう。
なるほど今混雑しているはずだ。
彼女はきっと夜の酒場では歌わないのだろう。
酒の入った客はそれなりに危険だ。
客のほうを見るとカンナと同じように驚いている者もいる。
どう見ても冒険者に見えない人たちはたぶんこの町の住人だろう。
ニヤニヤと馬鹿にしたような嫌な笑いを浮べている者もいて、カンナは眉をひそめた。
きっと吟遊詩人の容姿も聞いた上で、冷やかしに来た連中なのだろう。
カンナは目をそらし、主人から離れてもう少し少女に近い壁へと寄った。
ステージ上の少女を見る。
年のころは14,5ほどだろうか。
盗賊や、ときには魔獣の現れる草原を町から町へ旅する吟遊詩人にふさわしい年齢だとは、到底思えなかった。
肩の少し下で艶のある金髪を切りそろえ、薄い茶色の目は今は楽器に落とされていてよくわからないがだいぶ大きいことが見て取れる。
子供ながらに、まるで人形のような美しさだった。
いやもしくは、子供ならでは、だろうか。
そして、彼女の持つ楽器は。
あの特徴的な弦楽器は、エラート以外にありえなかった。
弦楽器では一番演奏が困難だとされ、完璧に弾きこなせるのは世界でも両の手の指で足りるほどだという。
カンナの師匠であるアールは、ほとんどのことを平均以上にこなせる人であったが、それでもエラートだけはどうやっても無理だと話していたことがあった。
それをあんな幼い少女が弾けるというのだろうか。
9本ある弦をそれぞれ鳴らして調律し、最後に一緒に鳴らして確認して、ふと顔を上げ、食堂を見回す。
そして、カンナを目が合った。
瞬間ざわめきが消える。
少女が満面の笑みを浮べたのだ。
そうすると先程の人形めいた印象が嘘のように消えて、年相応の顔に見えた。
構えた弓が、弦に当てられる。
最初の一音が長く長く与えられたのを皮切りに、旋律が奏でられ始めた。
エラートから生み出されるメロディーに、何人かの冒険者が驚いた顔をする。
エラートは演奏が難しい代わりに、その複雑な操作に見合うだけの深みのある多彩な音色を持っている。
それを少女の、まだ短いであろう指にもかかわらずフルに使って紡がれるメロディーは、カンナも、そしてここにいる冒険者のほとんどが知っているであろう曲。
旅の供として、古くから冒険者たちに馴染みである曲だった。
作り手知らずのこの曲は、普段口笛や鼻歌といった単音の単純なもので、だからこそ誰もが簡単に覚えられ親しみやすくなっているのだが、今はエラートによって元の曲の雰囲気を壊さないままにかなりアレンジが加えられている。
元々がそうだからか歌はない。
しかしエラートがそれを感じさせないほど豊かに響いていた。
それほど長くなく、曲は終わりを告げる。
しかしその短時間で、吟遊詩人の少女は場の空気を支配することに成功していた。
最初は馬鹿にしたように彼女を見ていた人々も含め、聴衆の間の雰囲気はぐっと少女に好意的になっている。
狙ってやったとしてもそうでなかったとしても見事なものだ。
さすがは吟遊詩人といったところか。
吟遊詩人という職業は、このレイファーミナにおいて特別なものである。
それが何故かは誰も知らない。
だが冒険者でないにもかかわらず町から町へ旅を続ける吟遊詩人を、草原においては魔獣よりもある種脅威である盗賊の間では襲ってはならないという暗黙の了解があるらしい。
もはや伝説と化している話では、ある吟遊詩人が遭遇した魔獣を音楽によって宥めてしまったという。
それが本当か嘘かはわからないが、吟遊詩人の歌にはそれだけの魅力があったし、吟遊詩人の言葉にはそれだけの説得力があった。
だから、それでも少数の盗賊やアンレイルシアの住人への用心に雇われる吟遊詩人の護衛の仕事は、その旅の安全性が極めて高いことも手伝って冒険者の人気が高い。
おかげで護衛するのは1組につきある町からある町までの一区間だけだと、これまた暗黙のうちに冒険者の間で決まっていた。
吟遊詩人はまた目を上げ、そしてまたカンナと目が合う。
カンナは内心首を傾げるが、目が合ったのは一瞬のことだったので気のせいかと思った。
間をあまり置かず、次の曲が始まった。
今度は先程とは違い、ここにいる人の多くは聞いたことのない曲だ。
少女の高い声が危なげなく高音のメロディーを紡ぎはじめた。
ここにきて初めて聴いた声は、まだ幼さが少しだけ残った透明度の高い声。
エラートの腕前も素晴らしかったが、歌声はその上をいくかもしれない。
細く太く、しかし一定して安定した声だ。
語られるのはある1人の旅人の話。
カンナには微かに聞いたことがある気がした。
彼女はそこまで覚えていないが、ずっと昔にアールが歌っていたことがあったのである。
王都エアリアルに伝わる伝承歌で、今は主に王城の中で演奏されている曲だった。
旅人は旅の途中、ある少女に出会う。
1人だった旅人と1人だった少女は心を通わせあうがしかし、それぞれの生きる道筋によって再びばらばらになってしまう。
だがそれでも、もう2人は独りではないのだと。
恋の歌なのかはわからないが、悲しげというよりは静かな曲調だった。
まるで曲自体が引力を持っているかのような、不思議な響きと揺らぎがある。
いつの間にか、本当にいつの間にかその歌は終わっていて、誰かが拍手を始めるとそれにつられたように皆ぱらぱらと手を叩きだした。
それでもまだ半ば夢の中にいるようだ。
吟遊詩人は立ち上がり、お辞儀をする。
そのまま、まだ余韻に浸ったままの客の中を自身にはまったく余韻を感じさせずすり抜けていき、宿屋の主人に2,3言話しかけ、すぐに客室のある2階へと上がっていった。
吟遊詩人の歌への祝儀は、酒場などで歌った場合、その飲み食いした分に上乗せしてまず酒場に払われる。
そこから主人が実際の分を差し引いて吟遊詩人に渡すわけだ。
それにしてもあっという間の2曲だった。
部屋に上がったということはもう歌わないのだろうかと、カンナは主人に聞くと、あの少女は1日3度、朝と昼と夕方に歌うということだった。
やはり夜は歌わないようだ。
明日発つらしく、つまり今日の夕方が最後。
夕方であるからさらに混むことだろう。
人混みが苦手なカンナはその想像に少しひるみ、残念だが夕方はやめておこうと思う。
とりあえず部屋を確認したら、この町の軍舎に行こう。
弟の様子を見に。