第25話「王都への誘い」 第3章
「中立都市ナルレスト」

 「すっごいおいしいクッキーがあったんだけどさ、あんまりおいしかったから昨日食べきっちゃったんだよ」

 ごめんな、とユーキはホーリックが持ってきたお茶をカンナにさしだした。
 それを受け取ってカンナは気を使うな、と首を振る。
 アールが作ったクッキーを昨日食べたばかりだ。
 あれよりおいしいものは滅多にお目にかかれないだろう。
 軍舎についたカンナは、すぐに今ユーキが使っているという第一級騎士専用の部屋に通された。
 どうやら王国及びナルレストに存在する軍舎には、突然現れるかもしれない第一級騎士のために、必ず部屋が用意されているらしい。
 実用的というか合理的というか、おそろしく殺風景な部屋だった。
 第一級騎士が単なる名誉職ではないことを示すかのように華美な装飾の一切が排除されたその部屋には、執務机と椅子が1脚ずつしか存在していない。
 今カンナが座っている椅子も、わざわざ他の部屋から持ってこられたものだった。
 絢爛ではないが丈夫で立派な造りの机にはユーキの署名が必要らしい書類が既に置かれていたが、その量は決して多くない。
 ユーキは椅子ではなく、行儀悪くもその机に腰かけた。
 カンナは出されたお茶を一口飲んで驚く。
 アールが淹れるものと同じようで、しかしそれよりもおいしい。
 こんなことは初めてだった。

 「これは誰が淹れたんだ?」
 「ホーリック。おいしいだろ?」

 ああ、と頷いてまたカップを傾けつつ、あの変わった色彩の神官を思い浮かべた。
 意外だ。
 こういうことはやらないように見えた。
 当人はお茶を持ってきたすぐあとまた出ていってしまったのでここには2人だけだ。
 ユーキは一息ついてやや緊張したように聞いた。

 「姉さん、あのさ……家、どうなってた?」
 「お前は死んだことになってた」

 そっか、とユーキは若干目を落とし、カップの中の水面を見る。

 「姉さん結構ストレートだよな」
 「悪い。だけど誤魔化すのも何だろう」
 「そうだけど……まあいいか」

 再び顔を上げて笑う。
 やや眉を寄せてはいたものの、それだけだ。

 「別に帰りたいと思わないしな」
 「そうなのか?」

 本当にそう思っていることを察して、カンナは驚いた。
 自分はこんなにも帰りたいと思っているのに。
 そしてその一方で安堵した。
 家のことは、あまり言いたくない。特にこの弟には。
 ユーキは照れくさそうに笑った。
 何故と問う前に話しだす。
 まだ誰にも見せたことのない宝物を初めて見せるような、そんな表情。

 「俺さ、陛下が好きなんだ。1人で放り出されたときに面倒見てくれたし、傍で見ててすごいと思うし」

 そうか、ユーキは第一級騎士なのだと改めて思う。
 ユーキが姿を消して、もう10年以上も経っているのだ。
 大切なものだってあるのだろう。
 椅子から立ち上がって、机のほうへと歩く。
 机に座ったユーキの目は、立ったカンナより少し上にあった。

 「陛下はさ、王国を守りたいと思ってるんだ。俺もみんなが好きだから、やっぱり守りたいって思うよ。ずっと、この世界で」

 ユーキの目は強い意志を帯びていた。
 カンナはそれを羨ましく思う。
 今のユーキには、人をひきつける何かがあると感じる。
 ここまで至るのにどれほどの努力をしたのだろうかとそう思って、カンナはいつかのようにユーキの頭を撫でる。
 途中で自分のその行動に気づいて少し慌てたが、ユーキは振り払うことをしなかった。
 困ったようなどことなく嬉しそうな表情に、しかしカンナはやはり手を下ろす。
 ユーキは笑う。
 カンナも笑った。
 ひとしきりクスクスと笑って、ユーキはまだ笑みの余韻を残したまま、しかし瞳には真剣な色を浮かべ口を開いた。

 「だから――」

 コンコン、とノックの音がする。
 ユーキは言葉を切って、扉に向かって声をかけた。

 「何だ?」
 「お客様です」

 向こうから聞こえるのはホーリックの声。
 そのまま部屋の主の返事を待たず扉を開け、すました顔で入ってくる。
 後に続いて、ナラルとフェイルが。
 椅子を手に入ってくる姿は、なかなかに間抜けだった。
 ナラルはキョロキョロと部屋を見渡すと頷く。

 「だから椅子渡されたんだね」

 フェイルは呆れたように呟いた。

 「まさか資料棚もないなんてね」

 ナラルは椅子を下ろすとユーキに近づいた。
 にっこりと人好きする笑みを浮かべる。

 「まだちゃんと挨拶してなかったよね? ボクはナラルで、あっちはフェイルだよ、よろしく!」
 「俺はユーキだ。昨日通りであったよな?」
 「うん、偶然だねっ」

 そうだな、とユーキは笑みを浮かべる。
 そして改まったようにカンナたち3人の顔を順々に見ると、いきなり頭を下げた。

 「魔獣を倒すのを手伝ってくださり、ありがとうございました」

 ナラルは目を丸くする。

 「え、あの、当たり前のことしただけだからさ。お礼なんていいよ!」

 慌てたように少し早口になるナラルに、ユーキは頭を上げる。

 「別にあんたのためにやったわけでもない。王国軍のためでもないしね」

 フェイルの言葉に騎士である少年は頷いた。

 「わかってる。組合の創立理念を知らないわけじゃない。俺が言いたかったから言ったんだ。冒険者のおかげで魔獣は街の中まで入れなかったんだから」

 本当はみんなにお礼したかったんだけどと小さく呟いて。
 そして話は終わったとでもいうように人懐っこい笑みを浮かべる。

 「なぁ、みんな王都に来ないか」
 「僕らは冒険者だよ」

 間髪をいれずフェイルが返す。
 冒険者とは即ち、旅で生計を立てているもののことだ。
 ユーキはそう言うと思った、と頷いた。

 「もともと特殊部隊はあちこち旅をするのが仕事なんだ。だから隊員も俺とホーリックだけだし。ただ今回はさすがに直接報告に行ったほうがいいし、姉さんも紹介したいからさ」

 ナラルはおかしそうに声をたてて笑った。

 「わかってるって! つーまーり、折角会えたお姉さんと離れたくないってことでしょ? ちゃんと受けた依頼は断っといたから」

 カンナは思わず驚きをもってナラルを見る。
 その視線を受けて、ナラルは嬉しそうににんまりと笑った。

 「だけど僕とナラルは残念だけど一緒に行けそうもない」
 「何故?」

 思いもよらないことにカンナは更に驚く。
 よほどショックを受けた顔をしていたのだろう、フェイルは呆れたように苦笑した。

 「別にこれでさよならって言ってるんじゃないよ。僕らも後から行くし、待っててくれると嬉しい」
 「あ、ああわかった……」

 しぶしぶといった調子で頷くカンナ。
 ユーキがフェイルに尋ねる。

 「何かあったのか?」
 「いや大したことじゃない。ちょっと僕らの故郷に用ができてね。すぐ追いつくよ」
 「そうか、ならわかった。出発は明日でいいかな?」
 「あ、でも」

 言葉を発したのはナラルだ。

 「明日って、カンナの師匠さんの家に行くんだったよね?」
 「え、でも急ぎの用なんじゃないのか?」

 カンナは目を瞬いてナラルを見る。
 一瞬フェイルもナラルを見た。
 ナラルはにっこり笑ってそれに応えた。
 ユーキは目を輝かせる。

 「師匠って姉さんの先生だよな? 行く行く俺も会いたい!」
 「じゃあ一緒に行くか?」
 「お待ちください、ユーキ様」

 今までドアの傍でずっと黙って4人を見守っていたホーリックが口を開いた。

 「何だ?」

 ユーキの訝しげな表情に、ホーリックは笑みを浮かべて1枚の紙を取り出した。

 「先程フィリア様より伝令鳥が届きました」

 受け取って目を通したユーキの顔が一気に青褪める。
 音がしそうなほどゆっくりと顔を上げると、ホーリックは更ににっこりと笑う。

 「何と書かれていましたか?」
 「『もう問題は解決したところでしょ? まさか地方軍の遠慮に乗っかってるなんてことはないわよね? あなたのこと信用してるわ』」
 「それはまた……もっともですね」
 「…………」

 ユーキは黙りこむ。
 力の入れすぎで震える手の中で、紙にしわがよった。

 「っ何でこんなタイミング良くっ!」
 「計算なさったんでしょうね。まだこちらの簡易報告も届いていないでしょうし。私たちが発ったとき珍しく王都にいらっしゃいましたから」
 「別に押しつけようと思ってたわけじゃない……」
 「わかってます。忘れてただけですよね」

 口の中で悔しげに唸ると、ユーキはカンナのほうを見る。
 申し訳なさそうに手を合わせた。

 「ごめん姉さん、俺行けないや。あ、でも明後日の出発までには絶対終わらせるから!」
 「ああわかった、待ってる。頑張れ」

 カンナが微笑むと、ユーキはこくりと嬉しそうに頷いた。


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