第20話「柔らかなひととき」 第3章
「中立都市ナルレスト」

グルルルルオオォオォォオンッ!!

「――――っ!!」

ザシュッ――

「何だ? 子供……?」

「あ……」

「わかった、ついてこいよ」







 「ほらよ」

 目の前に出されたお茶に口をつけ、カンナは周りをそっと見た。
 やはり、1年経ったくらいでは家の雰囲気は変わらないものらしい。
 目線の動きに気づいた男は、カンナの向かいに腰かけながら蒼の瞳を和ませる。
 師匠――アールはハーフスプライトだ。
 元はユミカルヴァイネ国の軍人だったという。
 王国ではハーフスプライトは貴族に位置づけられているはずだ。
 変わり者だった。
 森の中でたった1人だったカンナを家に居候させてくれたことなど特に。

 「で、旅はどんな感じだ?」
 「いえ、特には」
 「何だよ、つまらん」

 アールは本当につまらなさそうにテーブルに片肘をつく。
 だがすぐに頭を起こして更に聞いた。

 「そうだ。魔法の修練はちゃんとしてるか? やってないと腕が落ちるぞ」
 「やっています」
 「お前相変わらずキャッチボール下手だな」

 首を傾げるカンナに、アールは深くため息をつく。

 「まったく……。お前の仲間になるやつは大変だな」
 「あぁ、仲間ができました」

 一瞬目を丸くしてカンナを見て、アールはカンナのカップにお茶を注ぎ足し、更に新しく4つほど持ってきてお茶を満たし、カンナのほうへ押しやった。

 「師匠……こんなに飲めません……」
 「いいから飲め。祝いだ」

 本人が苦しければ祝いではないのではないかと思ったが、アールも少しはそう思ったのだろう、お茶をさげてはくれなかったが、皿の上に大量に積まれたクッキーを出してくれる。
 1枚つまんで、1つ目のカップに取りかかった。
 これなら何とか飲みきれそうだ。

 「よかったな」
 「はい」

 その声音に、実はかなり心配されていたのだと知る。
 少し嬉しかった。

 「今日は別行動なのか?」
 「はい、明日一緒に回る予定です」
 「そうか」

 アールは背もたれに寄りかかりカップを傾け、感慨深げに呟いた。

 「お前を森で拾ってからもう7年も経つんだな」
 「そうですね」

 カチリとカップが微かに音をたてた。

 7年前、観察者と別れたあと森で迷ったカンナは魔獣に襲われた。
 いくら魔力を持つといえど杖はなく、それよりもまず魔法の使い方さえ知らなかった。
 そのとき助けてくれたのがアールだ。
 丁度軍を辞め、ナルレストへ向かう途中だったらしい。
 11歳だったカンナには思いがいかなかったが、成長し1年旅をしてようやく生じた疑問がある。
 あの時点でアールは軍を辞めていて、ナルレストには何の伝手もなかったはずだ。
 冒険者になるつもりだったのかは知らないが、それなら何故カンナを拾ったのだろう。
 邪魔にしかならないはずだし、結局彼は冒険者にならずにこの家に住んでいる。
 働いている様子はなかった、少なくとも1年前までは。
 よく考えれば、カンナはアールについて詳しくは知らない。
 苗字も、家を捨てたからなのだろうか、聞いたことはなかった。
 とりあえず、それなりの地位にはいたのだろう。
 知識は豊富で教え方も上手かった。
 冒険者になるに必要なことは全てアールに教わった。
 だからというわけではないが、自分の疑問を相手にぶつけようとは思わない。

 視線に気づいたのか、アールが遠くを見るようにしていた目をカンナに戻した。

 「どうした?」
 「いえ、別に」

 見つめすぎていたことを誤魔化すように、クッキーをもう1枚取る。
 程よいプレーンの甘さ。
 思わず頬が緩む。

 「美味いだろ」
 「はい」

 アールはテーブルについた肘に顎を乗せ、嬉しそうに笑む。

 「いつ焼いたんですか?」
 「ん? 昨日だ」

 お前が来る気がしたからな、そうあっさり続ける。
 カンナはそうですか、と呟いて、サクリとクッキーをかじった。
 彼の勘はよく当たる。
 立ち上がり袋をいくつか持ってきてその中に無造作にクッキーをざらざらと流しいれ、カンナのほうへ置いた。

 「みやげだ。持っていけ」
 「ありがとうございます」

 男はまたカンナの前に腰かけ、しばらく黙る。
 手の中で飲みきったカップを弄んでいたが、やがて意を決したように口を開いた。

 「あのな」
 「はい」
 「気のせいかもしれないんだが」

 そこまで言葉にしてからう〜んと唸り、しかしまだ続ける。

 「明日、いやいつかわからんが近いうち。嫌な予感がする」
 「嫌な予感……ですか?」
 「そう。あ〜具体的に何かはわからんが、何だかそんな気がする」
 「そうですか」

 視線はカップに落とされたまま。
 言葉を選ぶように時々黙って考えながら、そこまで言ってカンナのほうを見た。

 「特殊部隊の隊長も来たって話だからな。まあ何もないとは思うが気をつけろよ」
 「はい、わかりました」

 カンナは神妙に頷く。
 アールはその様子を複雑そうな目で眺めてから、気を取り直すように立ち上がりニッと笑った。

 「ほらカンナ。魔法がどれだけ上達したか見てやるよ」
 「はい! ――あ、師匠」

 カンナは立ち上がり、思い立ったように腰の短剣を取り出す。

 「できればこれの使い方をもう少し……」
 「何かあったのか?」

 ある程度は使えるはずだろ、と首を傾げるアールに、カンナはやや俯き気味に口を開く。

 「ちょっと前、ソーサリーと出くわして……」
 「森で? 珍しいな」
 「旅をする者だってフェイル、えっと仲間の1人が言ってました」

 ふ〜ん、とアールはテーブルに左手をつき、右手で顎を撫でた。

 「旅をする者、ねぇ……。そいつ詳しいな。それで?」
 「で、戦うことになって」
 「何っ!?」

 いきなり両肩を掴まれ目を丸くしたカンナに、アールは一瞬我を忘れていたことに気づき、きまり悪そうに先程飛び越えたテーブルを回って元の位置へ。
 戻る意味はあったのだろうかとカンナは思ったが、先を促され話を続ける。

 「まあそれで魔法が使えなくて」
 「は?」
 「えっと一緒に戦ってくれた人がいて……」
 「あ〜なるほどな。オツカレ」
 「はい」

 全くそうは思っていなさそうなアールの言葉に、しかしカンナは素直に頷く。
 アールは仕方ないとでも言うようにため息をつき、ガシガシと頭をかいた。

 「事情はわかった。一応教えてやるけどあんまり期待するなよ。1日でどうかなるもんじゃない」
 「わかっています。――あ」

 カンナは扉まで来てから思い出して振り向く。

 「今度は何だ?」
 「お茶が……」

 テーブルの上にはまだ口のつけられていないカップが3つ。
 冷めたお茶は元がどうあれ大変不味い、常識である。
 しかし迷うカンナに、アールは可笑しそうに笑った。

 「あぁ別にほっといても大丈夫だ。客が来てる。そいつが飲むさ」
 「え、客? お客さんをほっておいて大丈夫なんですか?」

 まさかこの家の中に他にも人がいるとは予想もしていなかったカンナは驚き、思わず聞く。

 「平気だ――よな?」

 最後だけどこへともなく呼びかけて、しかし返事はない。
 だがアールは満足げに笑って、困惑するカンナの手をひいた。







 廊下から庭へと2人の声が移動してすぐ、人気のなくなったその部屋に人影が入ってきた。
 神官服を纏ったその男は、テーブルの上のまだ温かいお茶と大量のクッキーを見てため息をついた。

 「これを全部飲めと……?」

 それでも先程までカンナの座っていた椅子に腰を下ろす。

 「仕方ないですねぇ」

 そう呟きながらカップを手にし、クッキーを口の中へ。

 「美味しい……ユーキ様にも持って帰りましょうか」

 立ち上がる。
 それにしても脱走してなきゃ良いんですけど、とクスクス笑って探してきた袋にクッキーを入れた。

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