第2話「怪しすぎる招待」 序章
「夢の終わりは」

 平穏な昼の気配。閑静な住宅街に、その少女の住む家はあった。
 落ちついた配色の2階建て、その2階に彼女の部屋はあるようだ。
 もう朝だといえる時間はとうに過ぎたというのにまだベッドの中だ。どうやら夢見が悪いらしく、うなされている。

 と、いきなり飛び起きた。眼をこすって周りを見回し、一息つく。
 あのうなされ方を見るに、悪夢だったのだろうか。それを断ずるのは本人の主観だ。
 ただその1つだけ零された溜め息は、明らかに安堵の意味が込められていた。

 「おはよう」

 グッと背筋を伸ばし、そんな時間はすでに過ぎ去っているが、そう棚の上に立てられた額縁に向かって挨拶する。
 そこには幼い、しかし彼女であろう面影のある少女ともう1人の姿が写っていた。
 少女はそして部屋に光を入れるためにカーテンを開け、

 「こん――」

 シャッ

 閉められた。
 まるで見てはいけないモノを見たような反応。
 頭を抱えた少女が、一瞬後何もなかったようにいっそ爽やかな顔つきで部屋の扉を開け出ていこうとする。

 「酷いですねぇ、いきなり閉めるなんて」

 ここで出ていかれてはまずい。悪いとは思いつつそんなことを言いながら、開け放してあった窓から中に入る。
 少女は目を白黒させ固まった。
 そんな少女の様子にまずは友好関係を築かなければと、努めて笑顔で明るく声をかける。

 「改めまして、こんにちはアマチカンナさん。お迎えにあがりました」
 「誰っ!?」

 我にかえったらしい少女――カンナが尋ねてくる。
 それはまるで咎めるような物言いではあったが、そこに込められた感情は怒りというよりは寧ろ戸惑いだった。

 「私は『観察者』ですよ。夢の中で逢ったでしょう?」

 そう告げると、カンナは少し冷静になったようでまじまじとこちらを見てくる。
 どうやら先刻見せた夢を思い出したのだろう。
 一瞬の思案の後、指をさしながら恐る恐る聞いてきた。

 「あの……何でサングラスしてるんですか?」
 「カモフラージュです」

 一体何を聞くかと思えば、どこかずれている。
 しかし今まで忘れていたが、そんなものをつけていたのだった。どうりで視界がいつもより暗い。
 まだこの少女に顔を見られるわけにはいかなかった。次に会ったときに気づかれては面白くもない。
 少女の緊張が何故か一瞬解かれる。いい傾向だ。友好関係の第一歩である。
 肩を落とすカンナの呟きが耳に入った。

 「何なのよ、一体……」
 「だからお迎えに来たと先刻から言っているでしょう」

 どうやらまだ理解されていなかったようだ。
 カンナは顔を上げきっと睨みつけてくる。
 さっきは少し仲良くなれたように思っていたのに、甘かったらしい。
 だがその表情は地団太を踏む子供のものだった。
 あの子の世話をするようになって、わかってきた表情の1つ。
 多少大人びていると思っていたが、やはり子供は子供らしい。

 「お迎えにって何で私が――」
 「貴女の力が必要だからですよ」
 「え?」

 そう必要なのだ。
 彼女の手首を掴み、もう片方の手で宙を指差す。あの子の好きな、活劇童話の最初の文句。

 「さあ行きましょう! いざ、冒険の旅へ!!」
 「ち、ちょっと離してください!」

 男の子とではやはり勝手が違うらしい。
 しかし、

 「いいえ離しません。このまま私の住む世界に連れて行きます!!」

 え、と一瞬カンナがぽかんと口を開けて引っ張り返す力が薄れる。
 その隙にその手を掴んだまま窓辺まで、そして窓枠を乗り越えて外へ。
 カンナの目がこれ以上ないというほどに見開かれた。

 「え、空……?」

 最初は何に驚いているのかわからなかったが、そういえばこちらの世界には「魔法」の存在がなかったことを思い出す。
 あの子も最初、ひどく驚いていた。
 本当はこんなくだらないことに魔力を使う者はほとんどいない。
 だが今回はこの少女の部屋が2階だったのだ。仕方がない。
 空間閉鎖の魔法も、次の魔法に備えて必要最低限の空間に限定していた。

 「ああこれですか? 魔法ですよ」
 「へ」

 間の抜けた声。
 しかしこれを認められないようでは、これから連れて行く世界を受け入れられないだろう。
 少し遅すぎただろうか、確か11歳のはずだ。
 だが、

 「……すごい」

 どうやら納得してもらえたらしい。
 素直なところはあの子とそっくりだ。

 理解が得られたところで次の段階に進む。
 異界渡りの魔方陣は向こう側だ、こちらからはそれに繋ぐだけでいい。
 人差し指で空中に円を描く。
 短い詠唱を紡ぐとそこに穴が開き、向こうの草原の景色が見えた。成功だ。風が誘うように吹く。
 穴は拡大する。丁度身長と同じくらいになったときに足を踏み入れようとした。
 が、それは思わぬ力によって止められる。
 振り返って気づく。少女が、カンナが掴んだ手を振り払おうと引っ張っていたのだ。

 「嘘っ! ちょっと離してっ! 離せったら! お父さんっ!!」

 振り返りながら叫ぶカンナに眉を寄せた。
 子供の力だ。無視するのは容易い。
 空間閉鎖だってしている。誰もこの騒ぎには気づかない。
 けれど、けれどこの少女の望まぬことを自分はしているのだ。

 掴んでいた手を放す。
 急に放されたカンナは慣性の法則に従い、後ろに飛ばされベッドで頭を打った。
 痛さにだろう、体を縮めて蹲り頭を押さえる彼女に近づき、そのさまを見る。
 彼女が本当にいるべき場所はここだ、それは理解しているのだ。
 でも自分の望みを叶えるにはカンナが必要だ。
 溜め息をつくと、少女は驚いたように顔を上げた。
 カンナは恐怖によってだろうか、身を震わせる。
 わかっている。この少女を、私はこれから自分の望みのために巻き込むのだ。
 本当は、彼女でなくても良かったのに。
 誰でも良いから、誰でも良くないことをわかっていたから、一番接点のあったカンナを選んだ。
 この身勝手さは、あいつと一緒だということも理解している。

 「貴女は、貴女の大切なモノに会いたくはないのですか?」

 一番接点があったからこその唯一の切り札を切り出す。
 もう時間がない。一度繋いでしまった通路は開ける時間が限られている。
 これまで長い時間をかけて、魔力を練り上げてきた。
 本当はこれ以上時間を無駄にしたくない。
 だが納得した上でついてきてほしいのも確かだった。
 会いたければ自分と共に来いと、その言葉がどれほど傲慢か、そんなことだってわかっては、いるのだ。
 カンナの目が少し迷うように泳ぐ。
 その瞳に一瞬だけ先程少女が挨拶していた額縁が映りこむ。

 「だからこそ私はここにいなくちゃいけないのよ!!」

 次の瞬間、カンナは真っ直ぐこちらを睨み上げ強く叫ぶように言った。
 何が彼女にそう決断せしめたのかはわからない。
 だがその目の光の強さを見るに、もう少女が何を言ってもこちらのいうことを聞いてくれるとは思えなかった。
 先程までの彼女の様子からすれば、予想外の反応だ。
 長い沈黙が落ちる。
 次回また手を考えてくるというのは無理だ。
 もうあれほどの魔力、練り上げるのにはまた相当な時間がかかる。
 しかし今回にしたところでもう時間がない。悩んでいる時間さえも。
 これからすることを、あの人は怒るだろうか。
 でもこの望みは、誰にも譲れないのだ。
 小さく口の中で謝罪の言葉を紡ぐ。

 「しょうがないですねぇ。手荒なことはあの人と私の主義に反するのであまりしたくはなかったのですが……」

 一気にカンナに近づいてその目の前に手をかざせば、ふらりと少女の体が傾く。
 床に倒れる寸前に手で支えて、呟いた。

 「私の願いのために必要なんですよ」

 NEXT or BACK