第19話「それぞれの朝」 第3章
「中立都市ナルレスト」

 「カンナは明日どうするの?」

 ナラルはベッドに腰掛けて聞いた。
 ベッドはスプリングがきいていて良く弾む。
 カンナは少し考えてから答えた。

 「師匠のところに行こうと思ってる」
 「そっかぁ」

 ナラルの反応はどこかつまらなさそうに響いたので、カンナは軽く首を傾げる。

 「どうかしたのか?」
 「え、うんいや、あのね。フェイルも明日は組合に行くって言うしさ。
  ボクは買い物しようと思ってたんだけど……」

 ナラルは残念そうに溜め息をついた。
 カンナは申し訳ないような落ち着かない気分になる。

 「じゃあ一緒に回るか?
  師匠のとこは別に行かなくちゃいけないってわけじゃないし」

 慌てたように首を振って、ナラルは答える。

 「え! ううん、いいよいいよそこまでしてくれなくても。どうせ1日じゃ回りきれないしさ!
  それに久しぶりなんでしょ? 会いに行かなくちゃ駄目だよ」
 「そうか……じゃあ明後日は一緒に行こうな」
 「うん! じゃあボクは明日目ぼしい物を見つけとくよ」
 「ああ、任せた」

 それから他愛もない話をして、一段落したところでベッドに潜りこむ。
 布団はとても柔らかい。
 ナルレストの宿屋がみんなこうなのか、ナラルが選んだのがたまたまこうだったのかはわからなかったが、さすが冒険者の街とわけのわからないことに感心しながら、カンナは眠りに落ちた。







 翌日カンナが目を覚ましたとき、ナラルはまだ寝ていた。
 起こすと悪いので伝言を残しておくことにし、ついでにと宿の人間に聞けば、フェイルは既に出たらしい。
 1階の食堂で朝食を食べてから外に出る。
 大通りの中ほどにある宿から通りの奥へと歩く。
 朝も早い今の時間でも店は大半が開いており、客もまばらだがいる。
 朝はどの店も値段が1割ほど安い。
 だからこの街の住人はいつもこの時間帯に買い物をするのである。
 その様子を眺めながら結局何も買わずに、大通りの一番奥にある門に辿りつく。
 この目の前にそびえる門をくぐれば、その中は住宅街だ。
 一瞬だけ右手にある軍舎に目を走らせ、しかし特に何も思わず開かれた門の奥へと歩を進めた。
 何回か角を曲がると、目の前には見慣れた建造物。
 師匠の家だ。
 自分の家かと言われれば、まだ首を傾げたくなるけれど。
 と、扉が開き、誰かが出てきた。
 カンナの目の前まで来てニヤリと笑む。

 「お帰り。出戻りか?」
 「違います」

 あっさりと言って、カンナは深々と頭を下げる。

 「お久しぶりです、師匠」
 「ああ」

 師匠と呼ばれた男性は、頷いて中へと促す。
 カンナはそれに従って家の中へと入った。







 朝、日が昇る前に目を覚ましたフェイルは朝食を食べ、すでに起きだしていた宿に人間に伝言を残し、大通りへと出る。
 ナルレストの朝は早い。
 それはここに来るたびいつも思うことだ。
 すでに店の半分は開いており、見れば門からも人が出てきている。
 ナラルが買い物をしたがっていたことを思い出した。
 今起きれば安いのにとちらりと思うが、ナラルが朝起きないのを思い出す。
 別に弱いわけではないのだが起きてこない。
 フェイルは溜め息混じりに苦笑して、組合へと歩き出す。
 組合が開くまで少し待った。
 朝一で来たのだから当たり前である。
 他に待っている人はいない。
 扉を開けてイオが顔を出し、フェイルの姿を認めて「早いねぇ〜」と感心したように言って中へと招き入れた。
 ルチルもすでにカウンターの向こうにおり、フェイルを見てにこりと微笑んだ。

 「フェイル、おはようございますですの」
 「おはよ。で、これね」
 「はい」

 フェイルの出した書類の複写を確認し、原本を探す。

 「この人の護衛依頼でよろしいですの?」
 「うん、それで」
 「わかりましたですの。それでは依頼主に連絡をとりますのでここで待っていてほしいですの」
 「わかった」

 フェイルは組合内に多数設けられたソファーに座った。







 昼とはいわないまでも太陽が大分高く昇った頃、ナラルはぱちりと目を開いた。
 隣のベッドを見ればカンナの姿はすでにない。
 グッと体を伸ばしてベッドを降りようとすると、スプリングで弾む。
 この宿を選んでよかったと微笑んで、身支度をしてから一階へ降りた。
 食堂は盛況で、ナラルはやっと見つけた空席に腰を落ち着け、朝か昼かが曖昧なご飯を食べる。
 食器を片付けて一応宿の人間に聞けば、2人とも朝早く出たらしい。
 早いなぁと半ば感心しつつ、ナラルも外へ出た。
 目の前に広がるのは賑わしい大通り。
 ナルレストは広い。「走鳥」に乗れば1日で1周できる広さだが、それではゆっくり見て回れない。
 歩いてだと商人街だけでも一通り回るのに8日以上かかるだろう。
 とりあえず今いる大通りに狙いを定めて足を踏み出した。
 太い通りの奥に見える住宅街の門に向かって左側に店を見ながら歩く。
 左への曲がり角を折れた。
 迷路と同じ理屈だ。
 1回曲がってぐらいでは、通りもまだ人がたくさんいて店がある。
 店頭に並んでいるものは全て目に鮮やかで知らず鼻唄を歌ってしまいそうな陽気だった。

 「へぇ〜!」

 と、ある露天商で綺麗なペンダントを見つけて立ち止まった瞬間、

 ドン!

 「うわっ」

 衝撃と共にナラルの体がバランスを崩した。
 慌てて立て直そうとしてももう遅い。
 しかし――

 パシッ

 「悪い。大丈夫か?」

 手をつかまれ、危ういところで引き起こされる。

 「うん、ありがとう。大丈夫――!?」

 視界に入ったのはユミカルヴァイネ王国軍の制服。
 驚いて思わず相手の顔を見上げたナラルは、覚えた既視感に内心で首を傾げた。
 襟元のバッジは彼が第一級騎士であることを示しており、うわっ偉い人だ、と思う。
 ということはこの人があの特殊部隊隊長なわけだね、と妙な感慨を抱いた。
 あのヴァンガード家に人間の身でありながら養子に入り、第一級騎士まで上りつめた噂の特殊部隊隊長。
 そんな華々しい経歴の持ち主を目の前にして、ナラルはある意味ものすごく驚いていた。
 曰く、若いと。
 噂を聞いて若くても中年の域には達しているだろうと思っていたのだ。
 第一級騎士まで人間がなろうとするなら、それくらいになっていて当然、寧ろそれでも若いくらいだろう。
 なのに目の前の人物は、どう見ても自分と2,3歳離れているぐらいだ。
 しかしナラルは相手がとても強いことがわかった。
 だって、でなかったら自分がぶつかるわけがない。
 まあそれは相手にしても同じことで、わざとぶつかってきたのか単にぼけていたのかはわからないが。
 と、そこで相手の不思議そうな顔が目に映り、ナラルは凝視しすぎていたことに気づいて慌てて目線を少し下げた。

 「あ、ありがとう、大丈夫だよっ!」
 「そうか、良かった。悪かったな、ボーっとしてたから人がいるのに気づかなかった」

 どうやら後者だったらしい。

 「ううん。ボクも修行が足りなかったよ」

 ナラルが笑ってそう言った瞬間、

 「ユーキ様ーー!!」

 と、誰かが誰かを呼ぶ声がして、目の前の軍人が慌てたように後ろを振り返った。

 「やべっもう追いついてきたか。じゃあもう俺行くよ」
 「ああ、うん。頑張って」

 ナラルは走っていくユーキというらしい軍人を見送った。
 後ろから前へと、追っ手らしい軍人たちが走り抜けていく。
 それもまた見送って、

 「いやはやすごい人に会ったもんだ」

 呟く。
 それから、ん? と考えて、思いついたようにポンと手を叩く。

 「そうだ、カンナに似てたんだ!」

 あの鳩羽鼠の髪、それに顔の造作にも少し通じるところがあった気がする。

 「あれ、でも何で?」

 残った疑問は喧騒に掻き消え、誰にも届かない。

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